田臥勇太は中学時代から凄かった!!高校時代は"奇跡の世代"に。

田臥勇太
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ここでは、言わずと知れた日本を代表するバスケットプレイヤーである田臥勇太選手の、高校時代の偉業についてまとめています。

まずは田臥勇太選手のプロフィールから見ていきましょう。

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田臥勇太選手のプロフィール

【出身】神奈川県横浜市

【生年月日】1980年10月5日

【ポジション】PG

【身長】173cm

【足のサイズ】29cm

【学歴】横浜市立大道中学校 ⇒ 能代工業高校 ⇒ ブリガムヤング大学ハワイ校(中退)

 

生い立ち

小さなころから運動神経が抜群によかったという田臥勇太選手。

そんな田臥勇太選手がバスケットボールを始めたのは小学2年生の時で、横浜市内にある「矢部小学校ミニ」というクラブに入ってからだそうです。

バスケを始めたきっかけは、姉の志保さんと母親の節子さんの影響らしく、父親の影響ではないという点が珍しいですね。

ちなみに父親の直人さんは大のNBAファンらしく、勇太選手もNBAの試合テープを何度も見ていたのだとか。

バスケットボール色の強い一家で育ったことが、今の田臥勇太選手につながっているのかもしれませんね。

 

中学時代

小学生の頃に全国大会に3度も出場するほどの活躍を見せていた田臥勇太選手ですが、小学校を卒業後は、地元の「横浜市立大道中学校」に進学しました。

部活動はもちろんバスケットボール部。

部活練習の後も、公園で毎日自主練習を続けていたそうですから、このころにはすでにプロへの希望を持ち始めていたのかもしれません。

 

そして、そんな田臥勇太選手の努力とバスケ部員たちの力が合わさった結果、田臥勇太選手が3年生で主将を務めていた代に、『横浜市立大道中学校バスケ部』は全国大会4位入賞という目覚ましい結果を出しました。

 

この結果は、『横浜市立大道中学校バスケ部』創設以来初めての快挙だったそうですから、いかに田臥勇太選手と当時の部員たちが強かったのかが分かりますね。

 

さらにもうひとつ、田臥勇太選手はふつうの中学生バスケ選手ではできない経験をしています。

それはなんと、「CM出演」です。

しかも、当時のNBAの大スターであるパトリック・ユーイング選手と一緒に。

どうして当時の田臥勇太選手のもとにこの「CM出演」の話が舞い込んだのかはわかりませんが、普通は経験できないことですよね。

結局、田臥勇太選手はこの「CM出演」のためにニューヨークまで行ったそうですが、その経験がNBAへの想いをより強くしたそうです。

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高校時代

まさかの「CM出演」によってバスケットボールの聖地を訪れ、NBA選手たちのスーパープレーを生で見た田臥勇太選手。

バスケの本場のプレーに感動した田臥勇太選手は地元の横浜を離れ、秋田県にあるバスケの強豪校である「能代工業高校」に進学しました。

 

思うに、このころの田臥勇太選手の心には、すでにプロプレイヤーへの道を進むという意志があったのではないでしょうか。

高校生の頃にバスケットのために地元を離れる決心をするというのは、とてつもなく大きいことだったでしょうから、プロへの覚悟も決めていたのではないかと思います。

そして田臥勇太選手が地元を離れ、秋田県の学校に進学するということを許可した、家族の寛容さも素晴らしいと思います。

 

「能代工業高校」のバスケットボール部は、全国優勝を40回以上経験するほどの高校バスケ界の巨人で、全国から有望なバスケ青年たちが集まる強豪です。

そんな学校のバスケ部に入った田臥勇太選手でしたが、なんと一年生でレギュラー入りを果たしてしまいます。

この時点でもう半端ないですが、田臥勇太選手はそこから3年間かけて偉業を成し遂げました。

 

それは、「インターハイ」・「国体」・「選抜大会」という高校バスケの3大大会制覇を、3年連続で成し遂げるというものです。

にはかには信じられないですが、本当の話です。

まさに”奇跡の世代”と言っても過言ではないでしょう。

この世代の高校バスケ選手たちにとっては、「能代工業高校」の存在は悪夢そのものであったに違いありません。

そして、この世代の「能代工業高校バスケ部」の中心人物であった田臥勇太選手は、もはや”大王”と言えるでしょう。

事実、田臥勇太選手は高校三年生のときに日本代表として招集されています。

高校生のバスケットボール日本代表入りは、この田臥勇太選手が初めての例ということですから、いかに田臥勇太選手の実力がとびぬけていたかが伺えますね。

 

中学、高校時代からとびぬけた成績を残しつづけてきた田臥勇太選手の、今後の活躍が楽しみです。

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